八重の桜 徳富蘇峰

NHK大河ドラマ「八重の桜」の最終回で、新島八重が明治政府に追従して日露戦争を推進する記事を新聞に投稿する徳富蘇峰を諭(さと)すシーンがありました。新島八重が、日露戦争を日露両国の話し合いによって回避させる記事を書くように徳富蘇峰に迫りますが、そんなことが本当に可能だったのでしょうか?
日露戦争当時は帝国主義全盛時代で、アジアは日本を除いてヨーロッパの強国の植民地となっていました。ロシア帝国は、冬にも凍らない港や土地を求めて南下政策を取っていましたが、明治政府は戦争を回避するためにロシア帝国と外交交渉をしていましたが、ロシア帝国の南下を止めることはできませんでした。徳富蘇峰もそのような世界情勢を見極めて新聞記事を書いていたと推察します(ロシア帝国の南下を認めれば、確かに日露戦争はおこらなかったでしょうが、日本はロシア帝国の植民地になるということです。日本という国はもはや存在せずインドや東南アジアの人々のように悲惨な生活を強いられることになります)。
徳富蘇峰先生は日本においてジャーナリストという地位を確立させた偉大な先駆者です。「八重の桜」はあくまでも大河ドラマで、歴史を忠実に再現する歴史ドラマではありません。

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昭和49年日本大学理工学部数学科卒業。さすらいのSEである。卒業ゼミで数学科宇野教授から君は頭はいいが世間知らずだと言われる。「大きいところで尻尾になるより、たとえどんなに小さいところでも頭になれ」と教えられるが、真の意味がわからず日大理工卒業後さすらいの旅に出る。あれからもう40年、最近やっと安住の場所を発見する。
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2 Responses to 八重の桜 徳富蘇峰

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