ららら♪クラシック「ブラームスの交響曲第4番」

下記は番組での説明を羅列したものです。

なぜ古典の音楽にこだわったのか?

交響曲に生涯を捧げる

交響曲第4番に見えるブラームスの古典への愛
[第2楽章の冒頭の旋律]
16世紀ルネサンス時代の教会音楽
フリギア旋法 古代ギリシアから伝わる音階
[第4楽章の冒頭の旋律]
バッハの曲が元(カンタータBMW150)の低音部分

ブラームスが意識的に取り入れた 古典音楽の影響 新しいモダニズムの交響曲が出てくる中(ブラームスは)歴史へと遡っていった 管弦楽曲を次々に発表 しかし 「なんて時代遅れな曲を書くんだ」と
ピアノ協奏曲第1番もライプチヒでの演奏会は大ブーイングでした 客が3人しか拍手しなかった

交響曲第4番は完成(1885年) 教会音楽からバッハ、ベートーベンまで古典音楽のエッセンスを見事に融合した渾身の大作 

誰が見ても時代遅れのようなものを彼は書いていくが 滅びゆくもの 消えゆきものへのノスタルジーと名残惜しさを発揮

1550年からに伝統を全て吸収 融合し 1900年までを全部自分がまとめ上げるんだ 強い使命感のようなものを持っていただから彼は伝統にこだわった

また音楽家の宮川彬良さんもブラームスを通して、僕はベートーベンを理解し、バッハの本当のすごさを理解したと述べています。

[感想]
こうも書かれるとブラームスの音楽は古典的に聴こえるように感じてしまいますね?でも私の耳に聴こえるブラームスの音楽は、恒にドイツ的でロマンテックです!チャイコフスキーがロシアの哀愁が漂う楽曲ならば、ブラームスはドイツのロマン主義が漂う楽曲でしょうか(チャイコフスキーとブラームスは活躍した年代がほぼ同じで音楽表現に共通性があります)。なのでブラームスの音楽を古典音楽のように表現されると違和感を感じてしまいました。
古典音楽はバッハに代表されるように、宮廷や教会の行事に付随する音楽で小編成の室内管弦楽団で演奏されるイメージですね!全く同じ旋律の繰り返しが多く変化しないので、長く聴くと退屈しますね、音楽が主体ではなく行事に付随するものです。また旧ソ連の作曲家プロコフィエフは古典交響曲を作曲していますが、小編成の室内管弦楽団で演奏されます。

しかしブラームスの交響曲は演奏会向けの音楽(音楽が主体)で大編成の管弦楽団で演奏され古典音楽とは響きが全く違い、古典音楽の形式を参考にしていますが、私にはブラームスの交響曲は、同じロマン派で尊敬するシューマンの影響が色濃く反映しているように感じてます(ブラームスも師匠のシューマンと同じ四つの交響曲を作曲しています)。
私が所持するブラームスの交響曲第4番のLPレコードのジャケットの裏に音楽評論家宇野功秀さんが、ブラームスの音楽に対して評論しておられますが、まさに的を得た表現ですので紹介します。
「交響曲第4番 ホ短調 作品98は、申すまでもなくブラームスの最後の交響曲であり、1885年に完成された。彼の四つのシンフォニーはブラームスでなければ書けない個性的なものであるが、《第1》《第2》《第3》《第4》というように、作曲を進めるに従って、彼の個性はいよいよ濃厚になっていったといえよう。《第1》にはまだベート-ヴェンの影が見られるが、最後の《第4》になると、本当にブラームスそのものであり、彼の体臭をさえ感じさせる。それゆえ、ブラームス嫌いには最も抵抗を与え、ブラームス好きには最も愛される作品であろう。実際ここには彼の内気な性格、内省、孤独感といったものが、例の口ごもるような感じで表現されてゆく。第1、第2の両楽章はことにそうである。そして通常なら間奏曲風の音楽を置く第3楽章に情熱的なスケルツォをはさみ、むしろ全曲のクライマックスを築き上げた後、終曲は古いシャコンヌの形式で、荘厳な音の組立てを最大限に活用し、この交響曲をユニークに結ぶのである」

About 管理者

昭和49年日本大学理工学部数学科卒業。さすらいのSEである。卒業ゼミで数学科宇野教授から君は頭はいいが世間知らずだと言われる。「大きいところで尻尾になるより、たとえどんなに小さいところでも頭になれ」と教えられるが、真の意味がわからず日大理工卒業後さすらいの旅に出る。あれからもう40年、最近やっと安住の場所を発見する。
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