ピカソ 子供たちのように描けるようになるには一生かかった

BSジャパン「美の巨人たち」 パブロ・ピカソ『ゲルニカ』『科学と慈愛』から、「私は子供らしい絵を描いたことがなかった。子供たちのように描けるようになるには一生かかった」とは?

「私は子供らしい絵を描いたことがなかった」
ピカソは美術学校の教師である父に幼い頃から英才教育を受けた。父から絵画展に入選するための絵を常にかかされていた。15歳の作品である「科学と慈愛(1897)」は、人間の死をテーマにして描かれている。ルネッサンスの天才画家のように卓越した技巧で描かれており子供らしさは微塵もない暗い作品である。

「子供たちのように描けるようになるには一生かかった」
25歳の作品「アヴィニョンの娘たち(1907)」、28歳の作品「アンブロワーズのヴォラールの肖像(1910)」、43歳の作品「接吻(1925)」、55歳の作品「ゲルニカ」を経て、ピカソは富も名声も手にし称賛と喝采を浴びたが、まだ子供たちのように純粋無垢な絵を描けなかった(ゲルニカを描いたのは壮年期の55歳で、ピカソは1973年に91歳で亡くなっています)。

高齢のピカソは「子供の頃、私はルネッサンスの天才のように正確に上手な絵を描くことができた。でも、子供たちのように描けるようになるには一生かかった」と語っています。
要するに抽象絵画は具象絵画よりも、遥かに難しいということを、ピカソは語っています。
具象絵画は、絵になるような場所を選んで忠実に描写すればいいので、デッサンさえ磨けば極端な表現ではだれにでも描けることになります。
しかし抽象絵画は、描写するような場所はなく、自分のイメージだけで、斬新な構図や新しい色彩を生み出していかなければならないので、遥かに困難です。

ピカソの言葉から、個人的な感想を述べたもので、BSジャパン「美の巨人たち」 パブロ・ピカソ『ゲルニカ』『科学と慈愛』についての感想ではありません。
子供は、正確に上手な絵を描くことができないので、具象的ではありません。ピカソが述べている子供の絵は、斬新な構図と新しい色彩をもつ純粋無垢な美しい絵画です。

About 管理者

昭和49年日本大学理工学部数学科卒業。さすらいのSEである。卒業ゼミで数学科宇野教授から君は頭はいいが世間知らずだと言われる。「大きいところで尻尾になるより、たとえどんなに小さいところでも頭になれ」と教えられるが、真の意味がわからず日大理工卒業後さすらいの旅に出る。あれからもう40年、最近やっと安住の場所を発見する。
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