NHK BS1 戦艦武蔵の最期

フィリピン沖 深海1200mでレイテ沖海戦で沈んだ戦艦武蔵が発見された。無敵の不沈艦と呼ばれていたが、海軍の最高機密で資料はほとんど戦後焼却されてしまったので、世界最強の秘密など分かっていなかったが、今回の深海調査で明らかになった。下記のように深海調査の映像から戦艦武蔵の優秀な装置が確認された。

・装甲板
エンジンなどの心臓部を守る装甲板は世界一の厚さ(約40cm)を誇り、あらゆる攻撃に耐えられ、防御力も世界最強だった。これを撃ちぬく砲弾は、自分のもの(戦艦武蔵)しかなかった。

・世界最大の主砲(前方2基・後方1基)
砲塔には主砲弾約160発が格納されていた。主砲弾は一発ずつエレベーターで砲身まで押し上げられわずか30秒で一発を装てん出来た。世界最大の46センチの主砲で射程距離は42km、アメリカの最新鋭艦の主砲の射程距離が38kmなので、いかにすごい性能だったのかがわかりますね!当時の最新技術が駆使されていた。

・バルバス・バウの採用
大きな船の船首に備えられた丸い出っ張り。

・15m測距儀(そっきょぎ)
船と船の距離を測るもので世界一の精度だった。

・副砲
発射スピードや威力が非常に優れていた。

・高角砲
電動で向きや角度を制御できた。

・偵察機のカタパルト
長さ20mのレールで発進させた(現在でも戦闘機をカタパルトから発進させる技術をもつのはアメリカ海軍の大型空母だけです)。

・防雷具
機雷を除去する装置。

・通信用受信機

・同調蓄電器
周波数チューニングの装置。

・エアシューター
書類をいれた筒を輸送する。巨大な艦内の連絡手段として使われた。

全長263m 基準排水量6、5000トン 速力27ノット 1942年8月竣工

ペリーの黒船来航が1853年で蒸気船に驚いた日本人が、わずか89年後の1942年8月には世界一の軍艦を日本人だけで造り上げたんですから、驚嘆しますね!!!その頃アジアの大半が西洋の植民地だったことを考えると日本人は本当に優秀な国民です。

ただし、アメリカ海軍は、諜報部からレイテ沖海戦の半年以上前(1944/2/4)に戦艦武蔵の概略(全長・速力・建造場所・起工日・浸水日・完成日)をつかみ、空からの波状攻撃で撃沈する戦術を練り続けていた。
そうなるとアメリカ海軍の諜報部は、戦艦武蔵の存在や護衛の航空機もなく出撃することを事前につかんでいたことになります。
番組では、アメリカ海軍諜報部が、日本人捕虜の情報から取得したと説明されていましたが、日本海軍の最高機密がそう簡単に取得することができたのか大いに疑問に感じました。日本人捕虜の中に戦艦武蔵の乗組員がいる可能性は低く1944年2月では連合艦隊の旗艦です。

戦艦武蔵が沈没した原因は、世界一分厚い装甲板と装甲板は当時の溶接技術ではつなぐことができず、リビットと呼ばれる鉄の留具で固定されていた。つなぎ目付近をアメリカ軍の飛行機からの魚雷が何発も直撃して、リベツトがはずれ板ごと中に送り込まれその隙間から浸水して沈没した。
これもアメリカ海軍は、戦艦武蔵の弱点までつかんでいてそこを集中的に攻撃したということになりますが、日本海軍の最高機密を何故つかんでいたのか不思議ですね?

「兵理を超越してただ遮二無二突撃する肉弾特攻戦」として、日本海軍は戦艦武蔵に護衛航空機もなく出撃させていますが、作戦に合理性が全くありません。
マリアナ沖海戦で大敗して航空戦力が枯渇(こかつ)していたと番組は述べていますが、特攻機があるなら戦艦武蔵の護衛に回せなかったのでしょうか?

日本人として戦艦武蔵には護衛航空機を付けて出撃させてやりたかった!そうすれば、日本海軍が望んだアメリカ海軍との艦隊決戦も実現した可能性があります。戦艦武蔵の弱点も味方の航空機で守ってもらえアメリカ艦隊に近づくことが出来て、戦艦対戦艦の砲撃戦となり戦艦武蔵の実力を思う存分に発揮することができる。

About 管理者

昭和49年日本大学理工学部数学科卒業。さすらいのSEである。卒業ゼミで数学科宇野教授から君は頭はいいが世間知らずだと言われる。「大きいところで尻尾になるより、たとえどんなに小さいところでも頭になれ」と教えられるが、真の意味がわからず日大理工卒業後さすらいの旅に出る。あれからもう40年、最近やっと安住の場所を発見する。
This entry was posted in 歴史・スポーツ. Bookmark the permalink.

Comments are closed.