山本五十六の真実 真珠湾への道/遺された手紙

BS1スペシャル「山本五十六の真実 真珠湾への道/遺された手紙」から
最近山本五十六から友人の堀悌吉(ほりていきち)にあてた手紙や文書が発見された。
昭和15年11月山本は対米戦争を想定した計画をたてます。それを裏付ける極秘資料が堀悌吉文書のなかから発見されました。厳秘と書かれた山本の「戦備訓練作戦方針等ノ件 覚」です。

「開戦劈頭(ヘキトウ)敵主力艦隊ヲ猛撃々破シテ 米国海軍及米国民ヲシテ 救フへカラサル程度ニ 其(ソ)ノ志気(シキ)ヲ沮喪(ソソウ)セシムルコト 是(コレ)ナリ 月明ノ夜又ハ黎明(レイメイ)ヲ期シ 全航空兵力ヲ以(モッ)テ 全滅ヲ期シテ 敵ヲ強襲ス 敵米主力 若(モ)シ早期ニ布哇(ハワイ)ヲ 出撃来攻スルカ如(ゴト)キ場合ニハ 決戦部隊ヲ挙ケテ之(コレ)ヲ邀撃(ヨウゲキ)シ 一挙ニ之ヲ撃滅ス」 攻撃目標はハワイ真珠湾

このなかに「全滅ヲ期シテ 敵ヲ強襲ス」とありますが、ハワイ真珠湾を攻撃した南雲機動艦隊は、第2次攻撃を実施せず(空母も石油タンクもドックも無傷)に早急に引き上げています。山本の考えが南雲機動部隊に伝わっていません。
徹底した攻撃がなされなかったので「米国海軍及米国民ヲシテ 救フへカラサル程度ニ 其ノ志気ヲ沮喪セシムルコト」という当初の計画も達成されませんでした。
連合艦隊司令長官である山本が、最前線で指揮をとらず瀬戸内海の旗艦「長門」に留まっていたためと推察しております。
日本海海戦で連合艦隊司令長官である東郷平八郎が、旗艦「三笠」で陣頭指揮をとって大勝利に導いたのとは大違いですね!日本海海戦では、全艦隊が作戦を理解していたのが勝因だったとも言われています。

メディアでは、真珠湾攻撃を成功だったとして山本五十六の功績を称えますが、宣戦布告をせずに敵軍の休日を強襲したことは、日本人として恥じる行いと考えます。

About 管理者

昭和49年日本大学理工学部数学科卒業。さすらいのSEである。卒業ゼミで数学科宇野教授から君は頭はいいが世間知らずだと言われる。「大きいところで尻尾になるより、たとえどんなに小さいところでも頭になれ」と教えられるが、真の意味がわからず日大理工卒業後さすらいの旅に出る。あれからもう40年、最近やっと安住の場所を発見する。
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