[12月7日の産経新聞 産経抄 原爆投下と真珠湾同列視はあり得ない] から
ルーズベルト米大統領が、連邦議会の上下両院合同会議で日本への宣戦布告を求める演説を行ったのは、真珠湾攻撃を受けた翌日、1941年12月8日(75年前)だった。「昨日は、『汚辱の日』として永遠にとどめられる」。日本のだまし討ちを非難するとき、必ず使われるフレーズである。
ただ安倍首相は、今回の慰霊の旅(5日夜、電撃的に発表された、首相の真珠湾訪問)はオバマ氏による広島訪問の「返礼ではない」と強調している。当然である。一般市民を無差別に殺戮(さつりく)し、放射性物質をまき散らした原爆投下と、軍事施設を奇襲した真珠湾攻撃、道義的に同列に扱うのは歴史に対する冒涜(ぼうとく)でしかない。
[私の感想]
一般市民を無差別に殺戮(さつりく)したのは原爆投下だけではありません。東京大空襲や日本各地の都市への空襲も忘れてほしくありませんね!
ここで問題になるのが、原爆投下や日本各地への空襲の時は、日米は戦争状態でしたが、真珠湾攻撃の時は日米は戦争状態ではなく平和交渉が進行していたということです。
『汚辱』とは、他人を辱(はずかし)めけがすこと。そうされた人の恥。この言葉にアメリカ国民の怒りが凝縮(ぎょうしゅく)していますね!
もし平和交渉を打ち切って日本が正々堂々と宣戦布告したならば、一般市民を無差別に殺戮 した原爆投下や各地の空襲は、人道的に出来なかったかもしれません。そして日本のだまし討ちとされる真珠湾攻撃はアメリカにその口実を与えてしまいましたね!
日本ではいまだに真珠湾攻撃を成功だったと考えておられる方(安倍首相は違います)が、まだ沢山おられるようですが、反戦だったアメリカ国民を本当に怒らせてしまったのは、日本の最大の失敗だったと考えています。