真田丸 動乱

下記はNHK ONLINE 真田丸から第33回動乱の「あらすじ」からです。
秀吉の遺言をことごとく無視し、自らの影響力を強めていく家康(内野聖陽)。三成(山本耕史)は家康を討つため伏見城下の徳川屋敷を急襲することを決意するが、暗殺計画は本多正信(近藤正臣)に漏れてしまう。正信は諸大名に危機を訴え屋敷の守備に駆けつけるよう呼びかけ、徳川につくかどうかを試す。一気に形勢不利となった三成を救うため、信繁(堺雅人)は、昌幸(草刈正雄)のもとを訪ね、思いもよらぬ提案を行う。

[わたしの感想]
徳川屋敷を急襲することを止めさせた真田信繁の判断がいかにも正しく、石田三成や豊臣家の危機を救ったかのよう書かれています。はたしてそうでしょうか?
私は、徳川家康を討てる最後のチャンスを失くしてしまったと考えました。徳川家康は僅かの手勢を連れて、伏見城下の徳川屋敷にいたわけですから、石田三成の伏見城下の徳川屋敷を急襲する暗殺計画は優れています!
ただ残念なのは、明智光秀が本能寺を急襲して織田信長を討ったときのように、徹底していません!
徳川の本隊は、江戸(現・東京都)にいるわけですから、たとえ本隊が数万あろうとも伏見まで易々と数万の軍勢を移動できるわけがありません(今から400年以上も昔のことで、交通手段は馬と人の足だけですから)。
石田三成は、佐和山(現・滋賀県彦根市)城主ですから、石田軍が万に満たない数でも地の利で徳川より圧倒的に有利です。
佐和山(現・滋賀県彦根市)から一晩で石田軍の全軍が、伏見城下の徳川屋敷を取り囲めば、徳川家康を討ち取ることができたかもしれません。
また真田信繁が、父真田昌幸に徳川屋敷の守備をさせたのはあきらかな失策で、石田三成の権威が一気に落ちてしまいました。
でも徳川の参謀である本田正信は優れていますね!徳川の危機を逆手にとって諸大名に危機を訴え屋敷の守備に駆けつけるよう呼びかけ、豊臣家臣が徳川につくかどうかを試す。徳川家康を討てる最後のチャンスを簡単に失くしてしまった真田信繁とは策略家として格の違いを感じます。
勝敗を決めるのは君主ではなく、参謀できまるのかもしれませんね!

About 管理者

昭和49年日本大学理工学部数学科卒業。さすらいのSEである。卒業ゼミで数学科宇野教授から君は頭はいいが世間知らずだと言われる。「大きいところで尻尾になるより、たとえどんなに小さいところでも頭になれ」と教えられるが、真の意味がわからず日大理工卒業後さすらいの旅に出る。あれからもう40年、最近やっと安住の場所を発見する。
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