第92回箱根駅伝 日本大学

第92回箱根駅伝は、昨年につづいて青山学院大学の圧勝に終わりました。母校日本大学は、総合11位で残念ながら今年もシード権をとれませんでした。
日本大学の出場選手10名の出身高校を見ると、男子の全国高校駅伝でいつも入賞しているような名門高校出身の選手はあまりいませんね(知らない高校の名前が並んでいるイメージです)!10区を走った山﨑一輝選手は名門西脇工高の出身なようですが、西脇工高は最近の3年間は入賞していません。8区で失速した岡野佑輝選手の出身高校である岡山の興譲館高校は女子の全国高校駅伝では優勝経験を持つ名門校ですが、男子の高校駅伝ではあまり知られていません。
日大を往路6位に押し上げた留学生のキトニー選手(キトニー選手は国際関係学部の学生で、日本大学の国際化を推し進める教育方針の一つとして箱根駅伝に出場しているものと私は認識しております)を除いて大学長距離走でも好成績を残した選手は少なそうですね!
優勝した青山学院大学や準優勝の東洋大学の選手の出身校は、男子の全国高校駅伝の名門校が並び、大学長距離走でも好成績を残した選手が沢山いそうですね!
予選会では、日本大学がトップで通過しています。しかし、予選会では日本大学より下位だった順天堂大学や日本体育大学や帝京大学がシード権をとれたということは、日大のトレーニングに何か反省すべきことがあるのかもしれません。
予選会の陸上自衛隊立川駐屯地~立川市街地~国営昭和記念公園の20Kmは、箱根のように起伏の激しいところではありません。予選会を通過してトレーニングを、平坦な場所から起伏の激しい場所へ変更する必要があります。シード権をとれた順天堂大学や日本体育大学や帝京大学のようには、日大の選手は起伏の激しい場所での走りに慣れていない(練習量が足りなくて出遅れている)ようなイメージでした。

ところで、箱根駅伝不要論というのがあるそうです。「駅伝練習ばかりしているから世界に通用する選手が育たない」「箱根に集中しすぎて燃え尽き症候群に陥ってしまう」など「不要論」の根拠は様々で、「箱根駅伝のせいで日本のマラソンが弱くなった」ということだそうです。特に5区は、酷寒の中で高低差860メートルもあるところを走って体に相当の負担が掛かるのに、昔とは比較にならないほどタイムが早くなり、スピードも出ている。だから足へのダメージは増して、どんなに素質がある選手でもつぶれてしまう危険をはらんでいるそうです。

それならば、優勝タイムを落すように(体に相当の負担がかからない程度のタイム)、主催者である関東学生陸上競技連盟が、指導すべきと考えます。
駅伝は日本独自の競技で、オリンピックや世界陸上にはない種目です。しかも箱根駅伝は地方大会にすぎませんが近年、全日本大学駅伝の上位をほぼすべて関東の大学が占めています。
青山学院大陸上部の原晋監督が提案されているように、関東以外の大学を出場させて、全国の大学が箱根駅伝への強化を始めれば、ますます箱根駅伝は熾烈なスピード競争になりますからね!箱根駅伝コースは1区や10区以外は、世界のマラソンコースにくらべれば、起伏が激しいですからね!そこを日本だけの駅伝という競技で選手がつぶれるまで走らせる意味が何かあるのでしょうか?
優勝タイムを落す具体的な方法は、高校の長距離競技や駅伝で優秀な成績を残した選手が、スポーツ推薦などで進学する大學を関東学生陸上競技連盟の指導のもとに分散させることが必要だと考えています。
青山学院大学が短期間に箱根駅伝で復活し優勝できたのは、原晋監督の出身校である高校駅伝名門の世羅高校と出身大学の系列校・中京大中京高校から継続的に好選手が入部した(ウィキペディアによる)ことや同じキリスト教系で高校駅伝名門の九州学院高校から好選手が入部したことが大きかったと推察しております。

箱根駅伝が最終目標ではなく、箱根駅伝はあくまでも「世界に通用する長距離選手の育成」であってほしいですね!結果がどうであれ、箱根駅伝は母校の名誉のために最後の力をふりしぼり完走する姿に感動を覚えます。
私が日大生だった第50回箱根駅伝では日大が優勝しましたが、テレビ中継もされておらず、世間ではあまり話題になりませんでした。現在のように箱根駅伝を正月の国民的行事に押し上げたのは、東京の私立大学OBの方々の努力の賜物ですからね!箱根駅伝はこれからも東京の私立大学の祭典であってほしいですね!中央大や明治大や順天堂大などの御茶ノ水界隈の大学名を聞くだけで学生時代を懐かしく思い出します。以上は日大理工OBの私の個人的な意見です。

About 管理者

昭和49年日本大学理工学部数学科卒業。さすらいのSEである。卒業ゼミで数学科宇野教授から君は頭はいいが世間知らずだと言われる。「大きいところで尻尾になるより、たとえどんなに小さいところでも頭になれ」と教えられるが、真の意味がわからず日大理工卒業後さすらいの旅に出る。あれからもう40年、最近やっと安住の場所を発見する。
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